『天気の子』論

『天気の子』をみた。新海誠はセカイ系をアップデートしていない。『天気の子』の森嶋帆高は、いわゆるセカイ系の主人公と同様に「キミ」か「セカイ」かという選択に悩まされるが、その二者択一が成立する条件それ自体は問題化されることはない。なぜ「セカ…

雑感

『シンセミア』冒頭における鳥除けの空砲と隈元光博による射撃の同期。それは単なる銃声のカムフラージュではなく、神町を刻む一定のリズムに乱調を潜行させている。それ以降、神町には定刻通り銃声が反復されることとなり、あとはケイオティックな崩壊をた…

『クリードー炎の宿敵』論

ようやく観たので『クリードー炎の宿敵(以下、クリード2)』 について書きたい。 まず、『クリード2 』におけるロッキー・バルボアの登場が不気味である。それはこのようなものだ。試合前の控え室、アドニスに対しロッキーが語りかける。一瞬、私たちは画面…

『クリード-チャンプを継ぐ男』論

『クリード-チャンプを継ぐ男』(以下、『クリード1』)を見た。2は見ていないので色々間違っているかもしれないが、そのあたりは若干多めに見て欲しい。先に手の内を明かそう。『クリード1』を単なる『ロッキー』のスピンオフと片付けるのは早計に過ぎる…

『大日本人』論

『大日本人』。前エントリーで扱った『グレムリン』同様、隠喩ないし換喩にまみれた映画だ。松本人志が演じる大佐藤大は自衛隊、もしくは永遠に主体化できない戦後民主主義男性を。ウルトラマンを彷彿とさせるスーパー・ジャスティスはアメリカを。それにボ…

『グレムリン』論

12月25日。クリスマス。せっかくなのでクリスマスにまつわる映画によってこのブログを始めたいと思う。クリスマス映画の名作は数あれど、個人的には1984年の『グレムリン』は外せない。なぜなら『グレムリン』は、クリスマスとは何かを詳細に描いたメタクリ…